著=fudaraka『竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る』
読んできました。
「驚愕の一行」を経て、光り輝く異形の物語。
明治も終わりの頃である。病死した父が商っていた家業を継ぐため、東京から金沢にやってきた十七歳の菖子。どうやら父は「竜胆」という名の下で、夜の訪れと共にやってくる「おかととき」という怪異をもてなしていたようだ。
かくして二代目竜胆を襲名した菖子は、初めての宴の夜を迎える。おかとときを悦ばせるために行われる悪夢のような「遊び」の数々。何故、父はこのような商売を始めたのだろう? 怖いけど目を逸らせない魅惑的な地獄遊戯と、驚くべき物語の真実――。
出典:竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る-メディアワークス文庫|KADOKAWAオフィシャルサイト(https://www.kadokawa.co.jp/product/322310000068/)
感想
試練だらけの血みどろ怪異奇譚
明治の世を舞台に“竜胆”の少女とその同僚たちとの奮闘を描く青春劇・・・
かと思って読んでみればそんなことはなく、それはもう驚くほどに残酷でサディスティックな怪異奇譚物だった。お仕事小説らしさなんてものはどこにもない。
2代目竜胆・菖子たちが相対する正体不明の怪異・おかとときがとにかく不気味でおぞましい。
彼らが宴の席で行う拷問のような責め苦は、ただひたすらに痛々しくて見ていられない。腹が膨れあがるまで口から花を押し込みまくる余興なんてどんな生き方してきたら思いつくのやら。
その光景はまるで子どもが戯れで虫の翅や脚を千切るかのように一方的で、無邪気で悪意なく行われるそれは正しく怪異にとっての戯れそのものでただただ胸糞が悪い。しかも終われば傷は元通りに治るという設定も絶妙に君が悪く、責苦を受ける者にとって救いなように思えて却って余計に救いがない。
ただこれだけならばニッチなジャンルとして好事家たちにウケるかもしれない。しかし僕のようなライト層にはああいった痛ましい描写は堪らなくキツイし、出てくる男がどれも美男だらけとあって尚しんどい。イケメンだからって許し切れる範疇ってものがある。
この本はもしかするとサディスト気質なお姉さまに向けられた作品ではないか?という疑問が頭に浮かぶ。だとすれば僕は選書を誤った可能性があり、ともすれば不快感を抱いたまま読み続けることとなる。誤って乗車した女性専用車両に乗り続ける辛さと気まずさが込み上げる。乗ったことはないけども。
目に付く2つの不可解な点
本作は執拗な残虐描写ばかりの作品ではないのでどうか安心して頂きたい。それよりもまだ未読の方は特に「語り手の視点」に注視してほしい。いや、この点に関しては誰しもが意識するまでもなく違和感を感じるかもしれない。
そう、本作の視点はどこかおかしい。
一応「私」という一人称が用いられているのだが、その「私」が誰のことを指しているのかが明確に定まっていない。こういった作品なら主人公である菖子の一人称視点で進行するのが定番だろう。しかし、菖子の取る行動は常に何者かの三人称で語られている。そもそも、物語冒頭で「私」は松の木に登っていた菖子を見上げていた。
ならば下男の檜葉の視点だろうか。彼ならば、冒頭で松の木に登っていない一人称「私」の人物に当てはまる。だがその場合、本来檜葉が居ないはずの場面で違和感が生じる。作中に菖子が八十椿に誘われ火鉢に火を灯す場面があるが、そこに檜葉が居ては雰囲気的にも展開的にもおかしなことになってしまう。ならばやはり菖子視点なのか。なんとも曖昧で不明瞭である。
視点のほかに目に付くところといえば章の最後に記されている謎の時間表記についてである。
章全体の経過時間にしても宴の時間にしても、どれも中途半端に短過ぎる。何かを計測した時間なのだろうけれど、それに何の意味があるのか。意味深に記されている割には誰も何分何秒の時間に触れていない。
菖子が執拗に理不尽な目に遭う展開。
そして、定まらない視点に謎の計測時間。
それらは意味が無いようで意味が有りげであり、見方によっては著者の間違いにも思えなくもない。違和感にモヤモヤを募らせる一方で、不条理な展開は進行とともにキツさを増していく。僕たちは一体何を読まさせれてるのだろう。
・・・これまでキツめの感想しか述べていないが実際そう感じたのだから仕方ない。
ところが、物語が中盤を過ぎた辺りで突如「ある一行」が差し込まれる。
それは、これまでの冷めきった評価を180度一変してしまうほどの特大どんでん返しを引き起こすとんでもない一行となる。
以降はネタバレにならない程度の僕のお気持ち。
物語とキャラクターの可能性
作品を評価する際に「〇〇で人生が変わった」といった決まり文句をしばしば聞くことがある。月並みな感想に聞こえて逆に胡散臭い上どうも誇張し過ぎなような気もする。しかし、『竜胆の乙女』を読み終えた今ならばその胡散臭い感想もあながち間違いではないと思うことができる。
本書に描かれる物語は確かに“誰か”とっての救いとなり励みとなった。
そして、竜胆の菖子が“誰か”にとって勇気を与えてくれる最高の友となった。
物語は単に娯楽を得るための物ではない。時に誰かに気付きや発見を与えるだけではなく、例えば進路を決めるキッカケになったりなど、その後の人生に大きな変化をもたらす可能性さえも秘めている。誰しも一度は物語やキャラクターに多少なりとも人生を影響を与えられていることに違いない。
僕も読書量が少ないながらも多少は物語に触れ生きてきた自覚はある。その過程で、少なからず影響を受け今の僕が形作られている。
以下は僕が影響を受けた3作品を抜粋。
僕が幼少の折りに触れたなかで最も価値観を変えてくれた作品といえば、やはり『セクシーコマンドー外伝 すごいよ‼︎マサルさん』が思い浮かぶ。
あの尖りに尖ったハイセンスなシュールギャグは田舎っぺだったガキの僕に衝撃的で、それはもうページ穴が空きそうなほどにはコミックスを読み込んだもので、あのダバダバ走りをしながら台詞を真似してはよく親を困惑させていたもものだ。
思えばあの時読んだギャグのエッセンスが竜骨となり僕を形作ってきたのだろう。
悪い意味で人生を変えた作品といえば『シスタープリンセス』だけは外せない。
僕をオタクの道に引き摺り込んだ妹たち12人のことは忘れたくても忘れられない。
田舎の次男坊にあんな可愛い妹がいても良いのか?しかも12人も?いいんだ、シスタープリンセスならば君もお兄ちゃんだ。
小説の中ならば成田良悟先生のラノベ作品から受けた影響は大きかった。
特に好んで読んでた『越佐大橋シリーズ』の世界観とキャラのイカれっぷりが大好きで、今思い出しても興奮で胸が躍る。戌井隼人の拳銃を横水平に構えて撃つスタイルなんかは特に厨二心にドンピシャで堪らない。
そう考えてみると過去の僕はも以外と読書してたんだなあと。
・・・なんだか思い返すほどにイタい記憶が掘り返されてくる。救いと教えとかといったカッコいいやつがひとつも出てこない。
とはいえ、人格形成に及ぼした影響を人生の変化として捉えられないこともない。どんな作品であろうと、その作品には誰かを変える力がある。例えそれが言葉の意味や国の名前を知れたりといった小さな気付きだったとしても。人生の教えにならなかろうと進路を決めるキッカケにならなかろうと変化は変化だ。マサルさんから学びを得たっていい。
しかし残念なことに、僕はまだ一生の友達と思えるようなキャラクターとはまだ出会えていない。僕がそこまで物語にのめり込むことができていないのか。それとも救いや励みとなるほどのキャラクターにまだ出会えていないのか。
いずれにせよ、そんな存在が自分の空想のなかだけにでも居てくれたなら、きっと今よりも豊かで楽しい人生を送れるのだろう。
今より少しでも成長し、今より良い人生を送るため、これからも物語を読むことを続けていきたい。
◯書籍情報
作名・『 竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る』
著者・fudaraka
販売元・株式会社KADOKAWA
レーベル・メディアワークス文庫
発売日・2024年2月24日
定価価格・680円(税別)
判型・文庫判
ページ数・288
ISBN・9784049155228
竜胆の乙女|メディアワークス文庫
https://mwbunko.com/special/rindou/
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