『少年と犬』の感想

書籍
スポンサーリンク

著=馳星周『少年と犬』読了。読んだのは昨年発売の文庫版の方。
以前読んだ『ロスト・イン・ザ・ターフ』著者の直木賞受賞作品とのことでとにかく期待しかない。

感想

本作は最高の犬小説だった。
それはもう、僕の人生で読み・観てきた最高の犬作品のなかでも3本の指に入るレベルで素晴らしい。ここまで動かされる犬作品はそう見つかるものではない。
ちなみに他2作は『銀牙-流れ星 銀-』と『ペット2(原題:The Secret Life of Pets 2)』。


本作は、1匹の犬と飼い主たちとの絆と成長を描いた連作短編作品だ。
元は飼い犬の「多聞」が、渡りつく先々で飼い主となる人と出会い、そして別れを繰り返しながら“とある場所”を目指す・・・というのが本作の大筋となる。

表題作「少年と犬」を含む全6編の短編で構成される。各短編に登場する飼い主6人は皆、性別から年齢、職業、所在地等、全てがバラバラな上にそれぞれ一切の面識がなく関わりもない。更には多聞の呼び名でさえ飼い主によって異なる。
何よりも違うのは彼が身に置くその境遇だろう。ある者は違法に手を染めた元震災被災者だったり、ある者はギャンブル狂いの男が作った借金返済のため働く女性だったり、またある者は片足を失ったことで自ら命を断とうと考える者だったり、皆一様に何らかの闇を抱える。そんな彼らにとって唯一の救いとなるのが、犬の多聞であった。

とにかく多聞が良い子である。人の抱く心情の機微に鋭く反応し、常に飼い主にとって最適な行動をとる。人への忠義に厚く、それが例え行き摩りの仲だとしても、その相手に全力で尽くそうとする。従順で賢く、誰にとっても理想的で最高のパートナーとして傍らに居続ける。
多聞は、ただそばに居続けるだけではない。時には傷ついた家族に笑顔を与え、時には孤独を癒す救いを与え、また時には立ち上がる勇気を与える。多聞は常に誰かへ何かを与え続ける。時に支え合い、時には助け合う。多聞と飼い主たちは、種族の差や従属の関係を超えた家族以上の関係となって寄り添い続ける。


僕は30数年の人生の中で一度もペットを飼った経験がない。あるとすれば、家畜の世話を手伝った経験があるくらいなものだ。雇い主ならまだしも、雇われの僕が信頼や絆なんてものを家畜たちと育もうとは思わない。(酪農業や分娩を担当していれば違ったかもしれない)。
テレビや雑誌なんかで「ペットは家族」的なフレーズが使われることがあるが、ペットを飼ったことのない僕にはイマイチその実感が湧くはずもない。生活を共にする仲を家族と呼ぶのであれば、まあ納得の仕様はある。しかし、人が道楽で飼育している存在に対し、子どもや親兄弟と同様な扱いができるものなのだろうか。
実際、人間に対するものと同じ深い慈しみをペットに注いでいる飼い主を見たことがある。だがどうにも自分に経験がないせいか、彼ら飼い主が注ぎ込む愛着に共感しきれない部分がある。

とはいえ、完全に理解できないほど僕の感情は冷え切っていない。人間は、有機物や無機物、或いは実態のない概念にさえも愛着を抱くことのできる生き物だ。僕もそうだ。丹精込めて育てた畑や植物が愛おしく感じることもあれば、いつも使い続けてきた服やペンが痛んでしまうと悲しみを覚える。当然それらの感情は生き物たちにも向けられる。
ならば愛着を持って共に生活すれば家族なのか。勿論NOだ。そんな簡単な話ではない。有機物・無機物に対する感情はただ一方から発生するものだが生き物は違う。人間は勿論のこと、どの生物にだって大少の感情がある。家族のような深い関係性は、血縁のような繋がりだけに限らず、生き物同士相互の信頼によって成立するものだと僕は思う。
そういった意味ではペットたちとも家族になれるのだと思わなくもないのだが、やはりどうにも腑に落ちない。いくら懐こうが愛着を持とうが、どうあっても人間の一方的な都合で招き入れた関係性には違いない。そもそも言葉を介さず相互を理解することなんてできるのだろうか。飼い主が都合よく解釈すればそれでいいのか。どうあっても人間のエゴを押し付けているように思える。

だが本作は違う。『少年と犬』は、人間と犬が家族に、或いはそれを超えた特別な関係になりうる可能性を示してしている。例えペットが人間のエゴであったとしても、犬たちとなら家族になれるのだと思わせてくれる。

多聞はいつも衰弱した状態で人間たちの前に現れる。人間は多聞に食料と居場所を与え、やがて行き摩りのパートナーとなる。多聞は、出会った時から注いでくれた慈しみに応えるようにパートナーへ尽くす。それはお金を稼いだりとか食料を準備したりとかの奉公ではない。多聞はただ寄り添うことで奉公するのだ。多聞はパートナーたちの心情の機微を感じ取り、パートナーたちは多聞の眼差しと温もりから何かを感じ取る。それは、ある者には安心を、ある者には救いを、またある者には立ち向かう勇気を与える。もの言わぬ多聞の訴えが、パートナーに力を与える。人のように言葉で示すのではない。犬には、寄り添い支えることで信頼を示す力がある。

道楽で飼育している存在に対し、子どもや親兄弟と同様な扱いができるのか。
本作を読み終えた今ならば、犬の持つ力を僕は信じてみたいと思える。
馳さんの描く多聞にはそう思わせてくれる温もりがあった。


いつも南を見つめる多聞の旅は東北から始まり、6編目の九州で幕を下ろす。出会ってきた飼い主たちは皆、心から多聞を愛し、そして多聞を見送った。彼らと多聞は、家族を超えた、深く確かな絆で結ばれていたかけがえのない存在となった。その思いは、読者である我々も同じである。多聞のもの言わぬ訴えが、飼い主たちを超え読者に勇気を与える。そして、まだ見ぬ犬の可能性を示し、多聞は去っていった。悲しい結末だったが、なんとなく他の飼い主と同じ気持ちで見送れたような気がした。


◯書籍情報
作名・『少年と犬』
著者・馳星周
販売元・株式会社文藝春秋
発売日・2023年4月10日
定価価格・780円(税別)
形態・文庫本
判型・A6判
ページ数・384
ISBN・9784167920210
文春文庫『少年と犬』馳星周 | 文庫 – 文藝春秋BOOKS – 本の話https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167920210

コメント