読書遍歴と嗜好の変遷

雑記
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先日、家族で寿司を食べてきた。もちろん回らない方で。
入店がピーク前の昼前だったこともあり、順番を待つことなくファミリー用のテーブル席へすぐに通される。着座後、回転寿司業界へすっかりと馴染んでしまったパネル式注文システムを操作し、各々の食べたいものを選んでいく。僕と妻の分の汁物と適当な握りを頼み、息子(3歳)の分としてミニうどんセットと茶碗蒸しを頼んだ。
偏食家の息子はいつもこの2品しか食べないし、いつもこの2品で満足して帰る。家だろうと店だろうと、どこへ行っても白いものしか食べない。極端過ぎる好みの偏りっぷりをどうしたものかと、親として心配は尽きない。


さて、以前書いた読書感想記事にて僕は、自分に影響を与えた3作品を取り上げた。どの作品も、多感な時期の少年を狂わせるには申し分がないポテンシャルを秘めてられている。そんな作品たちの中で今回取り上げるのは、成田良悟氏の「越佐大橋シリーズ」である。

「越佐大橋」シリーズ | 書籍情報 | 電撃文庫・電撃の新文芸公式サイト

本シリーズは「新潟と佐渡島に架かる大橋と中央に浮かぶ人工島を舞台とした無法者たちの群像劇」な作品だ。
無法者とは、例えばマフィアだったり◯し屋だったり◯人鬼だったり、普通に生きていてば先ず見かけることのないヤバい人たちのことだ。そんな彼らが無法地帯となった人工島で利権やら享楽やら生存やらのために命を奪い合う、というのがざっくりとした大筋だ。
登場人物も世界観に負けないくらいに狂っている。例えば頭髪が虹色、耳に安全ピンでピアス、両目色違いのカラコンな上に「カッコいい」が理由で銃を水平撃ちする戌井隼人。チェーンソーの音でハイテンションになり、チェーンソー型の剣で戦う組織の護衛隊員・砂原潤。手のひらで銃弾を受け止める自衛団リーダー・葛原宗司。多感な男子中高生には劇薬とも呼べる中二全開な設定っぷりにはアラフォー男子となった今でもワクワクが止まらない。
派手なアクション映画かのようにド派手なキャラがド派手に戦う「越佐大橋シリーズ」を10代の僕は夢中になって読んでいた。


時が流れて約20年。かつてラノベのカッコ可愛いイラストと胸踊る世界観に撃ち抜かれていた僕は、今でも当時と似たような作品を読んでいた。伊坂幸太郎氏の「◯し屋シリーズ」である。

伊坂幸太郎〈殺し屋シリーズ〉特設サイト | カドブン
累計300万部を突破する、伊坂幸太郎屈指の人気シリーズ。〈殺し屋シリーズ〉書き下ろし最新作! 伊坂幸...

こちらあh「イカれた◯し屋たちがドンパチ◯し合うハードボイルドサスペンス群像劇」なシリーズだ。
なんといっても特徴的なのは登場人物のクセが強い。例えば、相対した者はなぜか死にたくなる能力を持つ[鯨]や、背中を押す事で事故死に見せかけて対象を始末する[槿]、毒による◯しを得意とする[スズメバチ]や、寝具を使った◯し行う2人組[マクラとモウフ]などなど、◯しの方法から名前までもがとにかく個性的だ。
伊坂幸太郎氏の作品なだけあって軽快でユーモラスな台詞回しと華麗な伏線回収は健在だ。特に伏線の張り方が素晴らしく、複数視点によって何層にも巡らされた伏線が回収される様には快感さえ覚える。

「越佐大橋シリーズ」と「◯し屋シリーズ」。
どちらも裏社会で◯し屋が活躍する点がとてもよく似ている。しかし共通点はこれだけではない。
ここで、取り上げた両シリーズの共通点を挙げてみる。

とその前に、以下の比較には一方を批判、または一方を盗作・剽窃と疑う意図は当記事には無いことをここで申し上げておく。

項目「越佐大橋シリーズ」 「◯し屋シリーズ」
群像劇
作中で◯しが常態化している
登場人物が個性的
頭のイカれた人物が登場する
特別な能力を持つ人物が登場する
不幸体質なキャラが登場する
名前または通り名が生き物がモチーフ
KADOKAWAから出版

と、このように枚挙にいとまが無い。僕は無意識のうちにあの時好きだったテイストの作品を選び取っていたのだ。

「越佐大橋シリーズ」を読んだあの時から約20年間。学生だった僕は社会に揉まれ都会に飲まれ、今ではすっかりつまらない考えの大人になってしまった。あの頃好きだったゲームよりも睡眠を優先するようになり、なによりも優先にしていた自分の時間よりも家族との時間を優先するようになったりと、あの時あれだけ大事にしていた「好き」は今や影もない。にも関わらず、あの頃の趣味嗜好の傾向だけは今でもずっと僕の中に残っていたのだ。図らずも巡り合っていた「好き」の面影に懐かしさを感じずにはいられない。


回転寿司屋でうどんを啜る息子を見ているとふと、かつてたまご寿司ばかり食べていた幼少の自分の姿が思い浮かんだ。わさび抜きがたまご寿司しかなかったとはいえ、ほかにも食べられそうな食品はあったと思うのだが、どういう訳か僕はたまご寿司以外を食べようとはしなかった。うどんと茶碗蒸しを食べて満足している息子と比べて見ても、かつての僕のほうが酷い食べ方をしていた。
そんなたまご寿司狂いだった僕も、今ではあおさ汁なんか啜りながら光り物を注文している。別にたまご寿司に飽きたとか嫌いになった訳ではなく、年相応に食べられるものの幅が広がったのだ。
寿司屋でうどんしか食べない息子の面影に、かつて偏食家だった自分の面影を見る。僕のように、かつて「好き」だったものを見て懐かしさを感じる時が息子にもやって来るのだろう。その時はまた家族で卓を囲み、一緒にあおさ汁を啜りながらわさび入りの寿司をいただきたい。

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