[路上マウントバトル]横断歩道で止まるドライバーvs車へお辞儀をする小学生

コラム
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4月も中頃を迎え、葉桜の緑が鮮やかに色づく季節となった。新社会人・新入生たちは、既に新たな環境の渦中に身を投じており、理不尽な世間の荒波に揉みくちゃにされている事だと思う。

そんな中、Twitterを見ていると新入生に関する興味深い記事を見つけた。

横断歩道で小学生が車におじぎ、交通教育に反発の声「一時停止は善意じゃない!」 - 弁護士ドットコムニュース
千葉県四街道市で行われたある交通教育をめぐり、ネットで大きな反響を呼んでいる。きっかけは4月8日、テ...

要約すると

・小学校新一年生の交通指導の一環として、横断歩道で停止した車にお礼をする取り組みが、ニュースとして取り上げられた。

・ドライバーと歩行者の双方が思いやることにより、一時停止の意識の変化を促すのが、この取り組みの狙いである。

・この件について、ネット上では賛否の声が集まり、Twitterでトレンドに上がった。

実際Twitterの投稿を見てみたが、どちらかと言うと否定的な意見の方が多いように見られた。
ドライバーと歩行者どちらが正しいのか。もしくは警察の指導は正しいのか。今でもネット上では様々な意見が飛び交っている。

しかし、僕は本質は別にあると考える。

今回取り上げたニュースの本質は、「路上における義務と善意の在り方」ではなく「ドライバーと歩行者のマウント対決」であると推測する。
順番に解説していく。

マウント繋がり

ドライバーによるマウンティングとは

前述した通り、今回の件の本質はマウントの取り合いにあり、この件そのものが「路上で繰り広げられる高度なマウント合戦の一幕」なのである。

路上では、常に「マウントを取る者」と「マウントを取られる者」のどちらかに分かれている。

走行するドライバー同士がその典型だ。前後を走る車の位置や速度、車種から装備に至るまで、全てがマウンティングの対象なのである。
(法定速度内であるにも関わらず)速度の遅さを理由に車間距離を異様に詰める煽り運転が問題にもなった。これだってマウンティングの一つである。
また、無理な追い越しや、ハイビームによる運転妨害などあるが、どれもマウンティング行為だ。

歩行者とドライバーだって例外ではない。
重量・大きさ・速度において全てが勝る車だが法律には勝てない。もし万が一歩行者が車によって傷ついた場合、100%の過失が車側にのしかかってくる。
必然的に、ドライバー側は歩行者の妨げにならないように、注意して走行する必要がある。

こう見ると、車側が歩行者の気を遣って運転しているよに見えるがそうではない。実際には車vs歩行者のマウンテ合戦がバチバチに繰り広げられているのである。
例えば横断歩道で停車する・しないによる「如何に人間として優れているか」という目線から、相手の優位に立とうと考えている
やっている事は車× 車とそう変わらないどうでも良い争いなのだ。

今回のマウントについて

路上におけるマウントの概要についてご理解頂けたところで、冒頭で紹介したニュースについて深く見ていこうと思う。

あくまでも交通ルール通りである行動に対し、圧倒的年下である小学生から繰り出された感謝のボディランゲージ。これがマウント合戦の決まり手となった。
「年上は敬うもの」というドライバーの思想を尊重しつつ、ルール通りの行いに対して労いの意思を示すことにより、歩行者側の人間的立場を上げつつドライバー側の自尊心に訴えることを可能とした。計算された高度な技なのである。
この技は恐らくは「止まってやったのに礼も無しか」と考えている一部のドライバーに対するカウンター、または警察側からのアンチテーゼなのだと考えられる。

この角度である

結果は明白で、ドライバー側の大敗である。最早勝負にすらなっていない。

ネットでは、小学生にお辞儀をさせることに否定的な声も見られるが、このカウンター技は小学生の立場からでなければ成立しない。
歩行者側の小学生にもメリットがあり、ルールを守らないドライバーとの比較と礼儀正しい姿により、「良い子」という社会的地位を獲得する事ができる。
むしろ「ドライバーが可哀想」と言われる方が正しいのかもしれない。

対策とか

ドライバーとしても、このままでは一方的にマウントを取られたママになってしまう。
しかし、どうしようもない。諦めて横断歩道では一時停止しよう。
全員が一時停止するようになればそれが当たり前の事と認識され、そもそもマウント自体が存在しなくなる。

皆でルールを守り、互いを気遣う心を持つことで、マウンティングの無い平和な交通社会を目指そう!

Bitly

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