著=伊坂幸太郎『グラスホッパー』(角川文庫)を読んだ。
伊坂幸太郎史上、最大の問題作にして最強傑作!
『マリアビートル』『AX アックス』に連なる<殺し屋シリーズ>の原点!
出典:「グラスホッパー」伊坂幸太郎[角川文庫]|KADOKAWAオフィシャルサイト(https://www.kadokawa.co.jp/product/200611000275/)
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。
どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。
鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。
一方、自殺専門の殺し屋「鯨」、ナイフ使いの天才「蝉」も「押し屋」を追い始める。
それぞれの思惑のもとに──。
「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。
疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説!
「殺し屋シリーズ」とは
『グラスホッパー』は伊坂幸太郎作品中で屈指の人気シリーズ「殺し屋シリーズ」の第1作目に当たる。
「殺し屋シリーズ」は、イリーガルな裏社会を舞台に、個性的で多様な技を得意とする殺し屋業者が入り乱れ立ち回るサスペンス小説群の総称である。現在まで刊行されている4作品は続き物ではなくそれぞれ独立して完結しており、同じ世界観を共有している以外に直接的な繋がりがない点が特徴となる。
構成としては伊坂幸太郎作品でよく見られる形態となっており、複数の人物が語り手となり、それぞれの視点がほぼ同一時間軸の中で次々と入れ替わりながら進行する。視点が切り替わった際に、見出しとしてその人物の姓や通り名の印影が記される点も「殺し屋シリーズ」ならではの特徴である。
前述した通り本シリーズは伊坂幸太郎作品屈指の人気シリーズとなっており、小説のみならず漫画化に映画化とメディアミックスに恵まれている。とりわけ第1作目である『グラスホッパー』はメディア展開に恵まれており、原作発売から4年後の2008年にはコミカライズ版が連載。2015年には生田斗真主演の劇場作品版が公開された。また、2007年から週刊少年サンデーにて連載された『魔王JUVENILE REMIX』において『グラスホッパー』の一部登場人物が出演、更に2009年には『グラスホッパー』のキャラクターを主軸としたスピンオフ作品『Waltz』が『ゲッサン』にて連載される。
そのほか、同シリーズ作品『マリアビートル』が2022年にブラッド・ピット主演でハリウッド映画化され大きな話題を呼んだ。2023年には『AX』から3年ぶりの最新作『777』が発売されたりと、1作目の発売から19年経って尚も人気シリーズとして勢いを保ち続けている。
『グラスホッパー』あらすじ紹介
元・中学教師の鈴木は、2年前に妻を交通事故で失う。妻を轢いて逃げた犯人は裏社会の悪徳企業「令嬢」社長・寺原の長男で、今回の事件を含め常習的に行われている犯行の数々は組織の権力によって全て揉み消されてしまった。そのことを知った鈴木は「令嬢」に入社し、内部から寺原長男への復讐するため機をうかがう。
そして現在。社員として非合法な薬物を販売する鈴木だったが、ほどなくして経歴と素性からその正体を疑われてしまう。会社への忠誠を示すため、上司の比与子により、寺原長男の前で拉致した男女を射殺するように促される。仇である寺原長男が鈴木の前にやって来ようとするその瞬間、寺原は横断しようとした道路で車に轢かれてしまう。不自然に発生したその事故は、まるで何者かによって引き起こされたようであった。鈴木は、目の前で復讐の対象を殺した「押し屋」の素性を掴むため、1人現場から離れる「押し屋」追い、走り出す。
鈴木が押し屋を追いかける一方、自殺屋の鯨は死者の幻覚を断ち切るために。
また一方で、殺し屋の蝉は名を揚げ上司である岩西から独立するため。
それぞれの目的のために「押し屋」を追うのだった。
『グラスホッパー』の感想
読み応えのあるハードなサスペンス作品だった。
同シリーズの最新作『777』を読んだ時は軽い印象を受けたのだが、こちらは全体的に少し重く殺伐とした印象を受ける。
特に鯨視点のパートでは、自らを死に向かわせようとする者の暗く陰鬱な心情がくどいほどに描かれており、読んでいるこちらまでもが世の中に対して申し訳ない思いが込み上げてくる。物語の進行とともに鯨が見る幻覚が悪化してくる様子は、これまで死に迫られた者と同じように鯨自身も死に向かっているかのように読み取れ、なんとも救いがない。
その中でも鈴木の視点は、どこか軽く、温かみを感じるパートとなっていた。槿や健太郎たちとの奇妙で平なやり取りからは、これまで読んできた伊坂幸太郎作品らしさが感じられて安心感を覚える。
しかし「殺し屋シリーズ」らしく疾走感と緊張感のあるアクションシーンで締めるところはしっかりと締める。ハードな作品でありながら大衆のエンタメ小説として緩急と陰陽のバランスの取れた一冊だったように思う。
『オーデュボンの祈り』を読んだ時と思ったが、伊坂幸太郎は突き抜けた悪を描くのが本当に上手い。こう、フィクションだとわかっていても「実際にこんな奴らが居る世の中は嫌だ」とこれからの人生と外の世界に対し不安を覚え胸の奥でザワザワしてくるような、そういった解像度の高い悪が描かれている。
本作でそれに当たるのが、鈴木の仇敵である寺原長男や比与子たち「令嬢」社員の非合法な悪行である。権力を振りかざして轢き逃げの事実を揉み消す寺原にせよ、路上で美容商品と偽り薬物を売買している「令嬢」社員にせよ、どちらも誰かがその辺りで行っていそうなリアリティがある。前者に至っては数年前に池袋でほぼ似たような事件が起きているからもう本当に笑えない。
前述した『オーデュボンの祈り』でも本作のように理不尽な場面が描かれていたが、もしかすると伊坂先生はこういったイリーガルな世界観を描きたかったのかもしれない、というのは気のせいだろうか。
あと気になったのが、本作にはよく登場する「その場に存在しない人物」の存在だ。彼らは台詞だけ、或いは本人しか知覚できない状態で登場し、例えば鈴木視点の場合だと亡き鈴木の妻が「その場に存在しない人物」に当たる。
鈴木は作中で妻との思い出を何度となく追想し、記憶のなかに残る妻の言葉を思い返すことで、幾度となく窮地を脱する。亡き妻の存在が、時として迷いを振り払い、鈴木自身を奮い立たせる燃料として精神の支えとなっている。
しかし、見方を変えれば、鈴木は亡き妻の亡霊によって死地に誘われているかのようにも読み取れる。実は妻の言葉を励みに自ら行動を起こしているかのように見えて、亡き妻によって操られているのではないか。「やるしかないじゃない」の言葉は鈴木のモノローグではなくて幻聴だったのではないか。死者の幻覚に翻弄される鯨の視点を交互に読んでいると、つい穿って考えに引っ張られてしまう。
そうなると、蝉の方も怪しく思えてしまう。彼の場合は亡霊や幻覚ではなく、記憶ののなかの虚構が「その場に存在しない人物」となる。蝉は物語序盤で観た作中映画『抑圧』の主人公の境遇を自身と重ねてしまい、上司の岩西の下で働く現状を脱したいと願うようになる。そうして『抑圧』の場面や台詞が何度となく思い返された結果、ついに身を揚げるための行動を開始するが・・・。
そして、鯨の場合は自身を悩ませる幻覚、ではなく、ホームレスの元カウンセラーである田中が、鈴木の妻や蝉の『抑圧』と同じ存在に該当する。鯨は、田中きら幻覚を振り払うための方法として、やり残したことや後悔していることを綺麗に精算をし、家業から身を引くように提案される。それ以降、鯨は対峙する相手を手当たり次第始末しながら、後悔の対象である「押し屋」を追いかける。モノローグでは田中の台詞である「精算ですよ」が思い返され、物語の最後まで「精算」の言葉に従い続ける。鯨を言葉で追い詰めていた幻覚も、終盤になると鯨の行おうとする精算に肯定的な言葉を発するが・・・。
彼ら3人は確固たる意志で危険な裏社会に飛び込んでいるかのように見える。しかしその意思は彼ら自身が能動的に生み出したものなだろうか。
誰かからの言葉が呪いとなり、そのせいでやる気やモチベーションが損なわれる場合もあれば、逆に力が過剰に働く場合もある。育児においても生育に悪い影響を及ぼしかねない「言っていけない言葉」があり、発言者の想定とは違う解釈によって逆にプレッシャーを与えたり、自己肯定感を損なわせてしまうこともある。それだけ言葉には人を操ろうとする力が備わっているのだろう。それと同じように『グラスホッパー』の3人は言葉の呪いによって操られ、翻弄されているように読み取れる。
人の信念や目的というのは自分で思うよりも周りからの言葉による影響し形作られていくものなのかもしれない。
それっぽくまとまったのでこれで感想をおしまいとする。
◯書籍情報
作名・『グラスホッパー』
著者・伊坂幸太郎
販売元・株式会社KADOKAWA
発売日・2007年6月23日(単行本・2004年7月30日)
定価価格・590円(税別)
形態・文庫本
判型・A6判
ページ数・352
ISBN・9784043849017
「グラスホッパー」伊坂幸太郎[角川文庫]|KADOKAWAオフィシャルサイト
https://www.kadokawa.co.jp/product/200611000275/
伊坂幸太郎〈殺し屋シリーズ〉特設サイト|カドブン
https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000745/
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