10月19日発売の著=馳星周『ロスト・イン・ザ・ターフ』(文藝春秋)を読んだ。
競馬はロマンだ! 競馬を愛してやまない著者が贈る夢の物語。
出典:本の話|『ロスト・イン・ザ・ターフ』馳星周|単行本 文藝春秋BOOKS(https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917641)
亡き兄が遺した競馬バーを営む倉本葵。ある日、大井競馬場で芦毛の9歳の牡馬・ウララペツを見かけるなり一目惚れする。ウララペツは名馬として名高いメジロマックイーンの最後の産駒だった。
だがほどなく、戦績の振るわないウララペツは引退することに。このままでは、ウララペツは食肉にされる……。葵はウララペツを買い取って馬主となり、種牡馬にしようと決意する。ところが次から次へと難題がーー。
葵、メジロマックイーンの血筋を残したいと熱望する常連客やウララペツの元馬主など、馬をこよなく愛する男女が奮闘しつつ、恋のさや当てにも興ずるラブコメディー。
2年くらい前からネット上でやたら競馬の話題を目にする。日曜日午後のX(旧Twitter)なんかが特に盛り上がっており、競走馬の画像やら予想表やら配当の収支やら、タイムライン上の雰囲気が馬一色に変わる。以前はもっと戦艦の画像とかソシャゲのガチャ結果とかの話題で溢れていた記憶がある。これはもう紛れもなく競馬が流行っている。
しかしどうしてあそこまで競馬にのめり込めるのだろうか。やはり流行の起爆剤である『ウマ娘』の作りが素晴らしいのだろうか。
競馬予想とウマ娘、どちらも試しに体験してみれば良いのだろうが、過去にパチンコとソシャゲで散財した経験が一歩踏み出そうとする足を掴む。競馬の魅力とは一体なんなのか・・・。
と、1人で地団駄を踏んでいる時に出会ったのが『ロスト・イン・ザ・ターフ』である。
白地にかわいいイラストの表紙と、競馬好きたちによるラブコメな物語。全体的にガチっぽさが無く、ライト向けな雰囲気を感じる。「競馬の魅力とは何か」を知りたいと思っている僕にこれほど絶対向いている作品は他にない。
加えて著者の馳星周さんは大の競馬好きとして知られている。競馬好きによる競馬好きの小説とあれば相当に熱量の高いに違いない。こういう作品は絶対に面白いはず。
という思いで読んでみたが期待通りで大満足。競馬を知らないライト層にも向いてたし、競馬好きがどこに熱くなっているかも分かった気がする。
※以下ネタバレ有り
競馬=ロマン
感想を語る前に少しだけ内容を振り返ってみる。
亡き兄から受け継いだ競馬バー「Kステイプル」を営んでいるのが本作主人公・倉本葵。最初は競馬に興味がなかった葵だったが、前島芳男をはじめとした常連客と接するうちに、次第に競馬場へと足を運ぶほどの競馬ファンへと成長していった。
ある時、常連客たちと訪れた大井競馬場で一頭の馬と運命的な出会いを果たす。
馬名はウララペツ。9歳になる芦毛の牡馬で、あの名馬・メジロマックイーンの最後の産駒である。しかし、その戦績は父親に遠く及ばずパッとしない。そんなウララペツに、葵は一目惚れしてしまうのであった。
ウララペツの応援を続けていたある日、葵は常連客からウララペツ引退の噂を聞きつけた。レース結果の振るわないウララペツならば引退後食肉となる可能性が高い。ウララペツを守りたい葵は、馬主となりウララペツを種牡馬にするために動く。
という導入で本作は始まる。
そこまでガチではない競馬ファンが主人公なところがニワカですらない無知な僕に丁度良い。
で、物語はその後、常連客・前島のツテを辿りウララペツの馬主と会ったり、蘩養先を探すため北海道へ渡ったりと最後までに多難な道を歩む。というか馬主となるためにはそれなりの所得と資産が必要であり、そもそも最初の一歩の時点で途方もなく困難を極める。それでも惚れた馬のためにここまで動けたのは葵のウララペツへの“愛”が強く働いたからだろうか。
先述した物語の導入以降、ほどなくして葵と前島はウララペツの馬主である穴澤芳樹という男と対面し、無事ウララペツを引き取ることとなる。そして「なぜ売ってくれたのか」という葵たちの問いに対し、穴澤はこう答えた。
「競馬はロマンだ」
その台詞で、なぜ競馬ファンが競馬を愛しているのか、感覚的に分かった気がする。
血統だとか〇〇系だとかクロスだとか、小難しい理屈の根底にあったのは愛やロマンといった精神論なのだろうなと。人間は物語に惹かれる生き物で、ただの事実よりも物語性のある事実の方が頭に残り易い上に感情移入し易い。僕が競馬ファンを知るためにこの本を読もうと思ったのと同じ理由だ。自分が特別と思うものやドラマチックなものを理想とし、感動を覚える。
好きな球団、好きなアイドルを人気や強さに関わらず応援するのは、それら好きな対象が1番になった瞬間を夢想し、ロマンを感じているからである。それは競馬ファンも同じなのだろう。
とはいえ金が絡んでいる以上、理想を捨て手堅く勝とうとする人も一定数はいるだろうから断言は出来ないだろう。むしろ買った負けたや擦った儲けたの世界でロマンを追う方が少数派なのかも知らない。まあ、知らんけど。
競馬ファンが本当にそんなことを思っている否かはともかくとして、僕個人としては“ロマン”という言葉に凄く納得ができた。
一目惚れした芦毛の馬に特別なもの=ロマンを感じ、その一頭を守るために多くの者が奮闘する。そんな葵の行動にロマンを感じ、多くの人たちが手を差し伸べる。
ロマンがロマンを繋ぐ物語。競馬を知らなくても心にアツいものを感じずにはいられない。
競馬ファンによる手に汗握る観戦場面
エンタメに振り切ったロマン溢れる物語が描かれる一方、いかにも競馬ファンらしい濃いめのエピソードも端で描かれる。それが、中盤に描かれる天皇賞の場面である。
このシーンは老婆の馬主である女王・飯田華の登場のほか、葵と前島の関係に動きがあったりと、「起・承・転・結」の「転」に当たるエピソードが描かれており、実は作品全体通して見てもかなり重要なシーンだったりする。
しかしそれらの場面のほとんどが府中競馬場で繰り広げられ、そこで行われるのは秋の重賞レースである天皇賞。登場キャラのほとんどが競馬ファンであれば、やはり最も盛り上がるのはレースの場面となる。
以下、もう一度内容を振り返る。
葵と前島の2人がマークシートを見合う場面にて、葵が好きな馬の応援馬券を買う一方、前島は対称的に真剣な予想を立てる。初回コーナーまでの距離が短い府中競馬場のコースの特徴を視野に入れ有利なポジションと脚質の馬を判断し、12番人気ながら内周りのポジションに入りやすい1枠1番の逃げ馬の3連複を狙う。
各馬がゲートに集まりG1レースのファンファーレが鳴る。スムーズにゲートに入り、そして、ゲートが開く。
序盤は1枠1番が好スタートを切る。2コーナーを抜け、向こう正面の直線に出る頃には後続と七馬身差まで離す。ここまでは前島が思い描いた通りの展開だ。一方で葵の応援する4番は馬群の中におり、各馬3コーナーへ向け脚を溜めている。
そして1番が3コーナーへ入る。後を追う馬たちが速度を上げ1番へ追い駆ける。1番が4コーナーを抜け最後の直線へ入ると歓声のボリュームは大きく上がり始める。十馬身まで稼いだ差を逃げ切れば前島の予想通りとなる。更にボリュームの上がる歓声のなか、馬群が逃げ馬に迫っていく。葵の応援する4番を含む四頭の馬が馬群を抜け、逃げる先頭に迫る。
4番の馬の名を叫ぶ葵。隣の前島も何かを叫ぶ。
追いかける四頭の集団から5番が先頭に立ち逃げ馬を追う。足があがっている1番。4番も5番に食いつく。2頭の一騎打ちとなる。ゴールまで百メートルのところで5番と4番が1番を抜く。地鳴りとなったスタンドからの歓声が頂点に達する。4番が5番との距離を縮め、そしてゴール板を抜ける。
結果は5番が1着。4番は首差で2着。逃げ馬の1番が3着となった。
応援馬券の複勝が的中した葵の隣で、前島が勝利の雄叫びを上げる。前島も葵のお気に入りである4番の3連複を買い、配当5万円の大穴を的中させたのであった。
競馬ファンがどこに予想を巡らせて、どの馬券を買うのか。そして、ゲート入りからのファンファーレの緊張感。スタートから向こう正面を抜けるまでの展開と、その後4コーナーを抜けたラストスパートの盛り上がりと歓声。
なんだか競馬場に足を踏み入れたことすらもないのにまるで府中競馬場に居たかのような感覚を覚えた。G1レースに赴く競馬ファンたちの心境の一片を知れたような気がする。
小説を読むメリットとして作品内に出てくる人物の知識や経験を擬似的に追体験できる点が挙げられるが、これほど高い熱量の経験を疑似体験できる作品はそうはないだろう。競馬ファンではなくても是非一度は経験して頂きたい。
まとめ
キャッチーな装丁と、ライトな競馬ファンが主人公のロマンに溢れた物語。それでいて読む者も熱くなれるガチの競馬シーン。競馬を知らないけど競馬を知ってみたいと思う僕に打って付けの一冊だった。
なんといっても「競馬はロマンだ」の台詞が良い。名馬の血統とかコース特徴による勝ち目とか小難しいことがごちゃごちゃあるが、結局のところ根底にあるのはロマンであり、そこにどれだけ執着できるかなのだろう。主人公の葵のように、一目惚れしたウララベツにロマンを感じ行動し、そのロマンに同調した者が集い支援する。レースあり、ラブコメありの、ロマンが人を繋ぐロマンな一作。
競馬を知らない者が競馬に触れるための一歩としてとても丁度良い作品であった。
◯書籍情報
作品名・『ロスト・イン・ザ・ターフ』
著者・馳星周
販売元・文藝春秋
発売日・2023年10月19日(『オール讀物』2022年4月号〜2023年5月号連載)
定価価格・1600円(税別)
形態・単行本
判型・四六判
ページ数・376
ISBN・978-4-16-391764-1
本の話|『ロスト・イン・ザ・ターフ』馳星周|単行本 文藝春秋BOOKS
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917641
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