『海岸通り』の感想

書籍
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 『嘘つき姫』に引き続き読んでみた。芥川賞候補となる新鋭作家さんを世間が注目するより先に知っていることに加え、僕は既に候補作品以前の著書を読み終えている。誇らしくもあり気持ちよくもあるという、そんなキモい感情を一方的に向けた一冊『海岸通り』である。

 僕の中で坂崎かおるさんといえば『ニューヨークの魔女』で、「SFがあって女性同士の怪しい関係あり」の作品を描く人というイメージが脳に刷り込まれている。他短編の作風もほぼイメージ通りとだったこともあり、『嘘つき姫』読後も依然として僕の脳内印象データファイルが書き換わることはなかった。なので本作『海岸通り』のザ・純文学な作風には驚きを禁じ得なかったし、作家先生に対して失礼とは思いながらも(こういうのも書くんだ…)とも思った。「これぞ純文学」といったか戸惑いと不安の残る締め方は正しくこれまで読んできた純文学作品の読後感と同じであった。そんな純文らしさの中にも、例えば主人公の久住とマリアとのただならさを感じる絡みなど、『ニューヨークの魔女』でも見られた坂崎さんらしさはしっかりと描かれている。僕のような純文学作品に苦手意識のある百合豚という圧倒的少数派の需要もこの一冊さえあれば全て満たされる。


 唯一賞賛されたことのある「掃除上手」と、施設内のバス停と同じくニセモノな「サトウさんの娘」と、新たに加わった「マリアさんの理解者」。以上3つのアイデンティティが職と住居の消失とともに順繰りと崩壊する。「掃除上手」のみとなった久住は切れた繋がりにすがりつくように、バスに乗車するサトウさんを介助する。その場面がどうにも痛ましくて情けない。けれど久住のクズな一面を知るせいかそこまで不憫に思えない。バス内の少年が感じたにおいというのは恐らく“善良な外面から滲み出る陰湿さ”のことであり、久住がマリアから感じた同じにおいだったのだろう。などと邪推をする。

 人間の評価というものは善悪のバイアスで左右されるものだと、本書を読んで思わされる。簡単明瞭で軽虜浅謀な思考がいかにも人間らしいというか、つくづく人類は愚かである。とりわけ本作主人公・久住への評価の変遷手首はネジ切れるレベルで激しく、仕事の評価は良かったものの横領の嫌疑にかけられた瞬間悪評が立ち、疑いが晴れたと思いきや途端に手の平を返されたりと、最後の最後まで評価の置き所が落ち着かない。仕事に熱心な面がある一方、家賃滞納や当番をサボったりとルーズな面もあり、かと思えばマリアに対して面倒見がいい面もある一方で、他人を嘲け見下す面があったりと、読んでいるこちらとしてもどの様に彼女を認知すればいいのか悩ましい。最終的には“社会性が危うくどこか歪んだ女性”という認識で落ち着いたけれど、それはあくまでもモノローグで語られた情報でのみ下した評価に過ぎず、家賃滞納の理由やらプライベート時の描写など、語られていない情報次第ではもっと良い印象に転じていたのかも知れない。

 本来、人間の価値はそこまで単純ではなく、容姿や家柄といった先天的なものから能力や社交性を始めとした後天的なものなどなど、指標とすべき価値基準は人の内外問わず幅広く、もっと多様で多面的なはずである、と思う。そうであって欲しいと思う一方、例えば内面と精一杯作った外面で勝利したい婚活の場で年収を評価の基準に据えられたり、或いは営業実績よりも社内での悪評が目立ってしまったりなど、人の多様で多面的な価値基準と評価が必ずしも自分にとって好都合なものとは限らない。ここまで悩ましくなってしまうからこそ、人は善悪という簡明な思考に陥ってしまうのだろう。やはりヒューマンは愚かである。

海岸通り / 坂崎かおる 【本】

◯書籍情報
作名・『海岸通り』
著者・坂崎かおる
販売元・株式会社文藝春秋
発売日・2024年7月10日
定価価格・1,400円(税別)
形態・単行本
判型・四六判
ページ数・128
ISBN・9784163918815
『海岸通り』坂崎かおる|単行本 – 文藝春秋BOOKS – 本の話
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918815

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