夢と現実。虚構と現実。新感覚エンタメ文学『クジラアタマの王様』をレビュー

書籍
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製菓会社で巻き起こる問題を描いた「経済小説」と現実の裏で繰り広げられるRPGゲームさながらの「ファンタジー小説」を融合。そこに社会問題や事件を思わせるテーマで味付け。混ぜ合わせたものを小説と漫画という2つの型に流し込み、本という名の1つの箱にパッケージする。こうして出来上がった作品こそ『クジラアタマの王様』である。
エンタメ作品としての新たな刺激、昨今あまりにも身近過ぎて戦慄を禁じ得ないリアル描写、そして、物語に端々に散りばめられた断片が最後に1つになる爽快感…。口内を鋭い刺激が駆け抜けて行くも、最後にはすっきりとした後味が残る。刺激的で良い読後感が楽しめる素晴らしい作品だ。

物語の鍵となるお菓子を用いて表現してみたが、果たしてこの表現がどれだけ伝わっているのだろうか。もしスベっているのならば、夢の中の僕が戦いに負けた、ということなのかもしれない。どうあれ夢であって欲しい。

本書の概要

現実に勝つって、どうやって? 製菓会社に勤める岸を襲う数多の危機――。疾走する伊坂エンタメ!
記憶の片隅に残る、しかし、覚えていない「夢」。自分は何かと戦っている? ――製菓会社の広報部署で働く岸は、商品への異物混入問い合わせを先輩から引き継いだことを皮切りに様々なトラブルに見舞われる。悪意、非難、罵倒。感情をぶつけられ、疲れ果てる岸だったが、とある議員の登場で状況が変わる。そして、そこには思いもよらぬ「繋がり」があり……。伊坂マジック、鮮やかなる新境地。

出典:伊坂幸太郎 『クジラアタマの王様』 | 新潮社(https://www.shinchosha.co.jp/book/125033/)
伊坂幸太郎 『クジラアタマの王様』 | 新潮社
記憶の片隅に残る、しかし、覚えていない「夢」。自分は何かと戦っている? ――製菓会社の広報部署で働く...

予想外なファンタジー展開

前情報もなく読み進めた場合、一見すると製菓会社によるクレーム対応から始まり、政治や社会問題に広がっていく「お仕事小説」や「経済小説」の様な展開を想像してしまう事だろう。実際、僕がそうだったし、伊坂幸太郎さんの描く会社が舞台の作品に期待していたりもしてた。

ただ読んでいて引っかかる点があった。その最たる点こそ、物語に一切そぐわないファンタジーチックな挿絵である。いや、挿絵というより漫画に近く、主に西洋風の兵士と大型モンスターとの戦いが描かれる。だがセリフや擬音、モノローグ等は書かれてなく、製菓会社の話とも噛み合ってるようには見えない。そんな挿絵が頻繁に挿入されている。ラノベでもここまで多くないだろう。その「よくわからない挿絵」は何を意味するのか。答えは2章に入ったあたりでようやく分かってくる。

漫画の様な挿絵が示していた物語は、あらすじでも触れられている「夢」の中で起きている出来事であり、その中で繰り広げられている戦いの場面だった。「夢」の世界と「現実」の世界はリンクしており、「夢」の大型モンスターとの勝ち負けが「現実」で起きる事象に影響しているとの事。そのほか、戦っている人物のことや、MMORPGゲームよろしくソロプレイでの討伐もあれば、マルチプレイによる討伐もあるルールのほか、夢と現実の登場人物たちの「繋がり」などが次々と明らかになってくる。

そこからは、序盤のお仕事小説的な展開から一変。現実世界でも遭遇する戦い、状況の変わる夢の世界、そして新型ウイルスの影…。引き込まれて行く世界観に、いつしか読む手が止まらなくなる。予想していた物語とは違う展開に、読み手の期待は良い意味で裏切られるのであった。

虚構とは思えないリアル過ぎる事象

不可解な挿絵以外にも気になる、というよりも驚くべき点がある。それは、作品内で発生する事件・社会問題等の事象が、直近で我々が直面した問題に酷似している、という点だ。

「新型インフルエンザ」の問題について。この文面を見た時、2020年初頭あたりから現在でも問題になっている新型ウイルス問題の件を真っ先に思い浮かべた。作中では過去話として語られるが、国内最初の新型インフルエンザ感染患者へ対する非難、治療薬にまつわる出来事など、ここ2年の間のどこかで発生していたかの様な既視感を感じる。そもそもフィクション作品なんだから実際現実で起きているはずではないのは分かっているが、ウイルスによる問題の状況と結果が余りにもフィクションとは思えないほどリアルに描かれている。

ウイルス問題は物語後半でも展開されるが、こちらではもっと深刻な状況となる。ウイルス問題に直面する主人公・岸の狼狽え具合、事件を報道する記者とストリーマーたちによる詰め寄り方、薬品会社の裏事情のアレコレ等々、緊張感のある描写が続く。実際体験した事のない僕でも不安を覚えるほどだ。

極め付けはメインキャラの1人である都議会議員・池野内の事件だ。後半で厚生労働大臣となった池野内は、カメラの前で発言しようとしている背後から何者かに襲撃された。元首相の事件、この展開を読んで真っ先に思い浮かんだのは最近起きた事件だった。一体どこまでが虚構なのか、本当に伊坂先生の創作なのか、いよいよわからなくなってくる。

まあ普通に考えればなんて事はない。そもそも本書が単行本で発売されたのが2019年の7月な訳で、この時真夏でマスクを付けて彷徨いてる人がいなければ、コロナのコの字も見かけない。3年後の7月に発生した事件を題材に出来るはずもない。そんなことが出来るのは未来人か預言者ぐらいだろう。あるいは先生がどちらかなのか。

ともあれ、フィクションとは思えないリアリティのある描写と、事象から人間が取りうる行動と思考の深い考察は、どれをとっても高いレベルで仕上がっていた。

作品内で起こる「虚構」事象と、我々読者の現実で起きた「現実」事象との対比。そして、作品内の「夢」の世界と「現実」の世界の対比。似た意味を持つ2つの対比から作られるがもう1つの対比。こんな構図を作り出せる伊坂先生は本当に未来人なのかも、と思わずにはいられない。

感じる身の回りの危険

自分ならどうするか。現実でも起こりうる事件が物語の中で繰り広げられた時、どうしても自分自身に当てはめて考えてしまう。

現在でも収束の目処の立たない新型コロナウイルス感染症は、今でも変異を繰り返して猛威を奮っている。最近その裏ではサル痘ウイルスの蔓延も問題視されだしている。ここまでになると、いつ自分や家族、隣人や同僚にも被害が及んでもおかしくはない。

「今日は人の上明日は我が身の上」という言葉がある。物語で起きたことと。身の回りで起こっていること。どちらも他人事とは思わず、当事者意識と危機意識の高い行動に努めたいと思う。現実の見えないモンスターとの戦いは、まだしばらく終わらない。

まとめ

夢と現実、切り替わる2つの視点はやがて1つに重なる。そして創作である虚構と現実との交差。視点転換と伏線回収がとても伊坂先生らしく、とても刺激的で気持ちの良い作品だった。おかげで前回読んだ『マイクロスパイ・アンサンブル』を読んだあと以上に、伊坂先生の描く作品が好きになってしまった。

ゲーム的な要素、ビジネス街的な要素、ファンタジー要素、さまざまな要素を含んだ新たなエンタメ作品として仕上がったこの一冊。
新しい体験をしたい方はどうぞ。

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