作品のネタバレ有り!
久しぶりに映画を観た。
ジャンルは戦争物。しかし、これがただの戦争映画ではなかった。
作品はコレ
元々はアンドリュー・ガーフィールドを目当てで見始めたのがそもそものキッカケだったのだが、思い掛けず素晴らしい映画に巡り合うことが出来た。
戦争映画は多くの場合、過去に起きた実際の戦いを題材に、それぞれの国から見た戦争の悲惨さと平和について問う作品となっているだろう。(中にはフィクションを交えた物やSF物もある)
とりわけこの映画は、戦争の悲惨さをリアルに描いており、内容含めて衝撃的な作品だったと言える。
今回はそんなハクソー・リッジの感想を3つの見所にまとめ、皆さまに紹介していこうと思う。
あらすじ
第2次世界大戦中、デズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)は、人を殺してはいけないという信念を持ち、軍隊に入ってもその意思を変えようとしなかった。彼は、人の命を奪うことを禁ずる宗教の教えを守ろうとするが、最終的に軍法会議にかけられる。その後、妻(テリーサ・パーマー)と父(ヒューゴ・ウィーヴィング)の尽力により、デズモンドは武器の携行なしに戦場に向かうことを許可され……。
引用元:シネマトゥデイ(https://www.cinematoday.jp/movie/T0021638)
舞台は第二次世界大戦・沖縄戦における激戦区・前田高地(ハクソーリッジ)。銃やナイフなどの武器を一切持たない衛生兵・デズモンドは、取り残された数多くの負傷兵を救うために、たった1人で銃弾と血肉の吹き荒れる戦場へと駆け出したのだが…
その後、デズモンドはたった1人で75人の兵士を救い出すという大偉業を成し遂げたのである。
文字にするとあまり凄い数字に思えないかもしれないが、本編の壮絶な戦場の中から75人を救い出す様を見れば、如何にとんでもない数字であるかがお分かり頂けるだろう。
見所①目を背けたくなるほどに残酷な戦闘シーン
特に印象的だった点として、丸腰の衛生兵デズモンドが息を潜めながら探し出した生存者を1人、また1人とロープで下ろして行くシーンが挙げられる。
敵に見つかるか、見つからないかの緊張感。
そして、救い出す毎に心身ボロボロになってゆくデズモンドの、
「神様、もう1人だけ助けてさせて下さい」
という彼のセリフ。
その間、緊張のあまり呼吸を忘れてしまうほどである。
ここまでの緊張感のあるシーンを作り出した最大の要因とはなにか。
それは、異常なまでに残逆で過激な戦闘シーンによるものにほかならない。
デズモンドが所属する第77歩兵師団が最初に日本軍の猛攻を受けるシーンがある。このシーンが特に過激で、両軍兵士何人も絶命する場面が続く。
怪我や欠損の描写も生々しく、ぶち撒けた内臓や千切れた脚はどれも目を背けたくなるほどにグロテスクなシーンであった。
その後、一度は勝利するアメリカ側により、野営で兵士同士が語り合う落ち着いた場面に移る。しかしそれも束の間、翌日の日本軍による奇襲により部隊は壊滅し、退却を余儀なくされたのである。
そんな視聴者も兵士同様、戦争に対する恐怖と緊張で張り詰めている中、更なる緊張を演出したのがデズモンドの救出劇なのである。
映像作品には「緩急」というものがあるが、この作品においては「急」の部分をとことんまで追求し、視聴者を作品に引き込ませているのだろう。
奇しくも僕も、その過激なまでにリアルな描写に引き込まれてしまった者である。
ここまでの描写は『プライベート・ライアン』以来の衝撃であった為、僕は一気に『ハクソー・リッジ』という作品に引き込まれてしまった。
見所②沖縄戦における日本兵
この「ハクソー・リッジ』という作品は、一貫して第二次世界大戦中のアメリカの視点で描かれている。視聴者としても、どうしても主人公であるデズモンドたち第77歩兵師団を贔屓目に見てしまう。
しかし、部隊が上陸した場所は沖縄。つまり、僕の母国「日本」である。
沖縄といえば日本の最南端であり、沖縄が堕ちてしまうことは即ち本土決戦の突入を意味する。
こうなると日本軍も死物狂いだ。実際、作中の日本兵はアメリカ軍の先遣隊から
「奴らは死を恐れない…」
と言わしめ、恐怖を植え付けるほどであった。
歴史の先が読めているとはいえ、どうにか沖縄を死守して欲しいと思ってしまう。
だが一方で、パールハーバーの雪辱を晴らしたいと思うアメリカ側の気持ちも少しわかってしまう。
そんな複雑な気持ちに整理が付かないまま、両軍の激しい戦いが始まってしまうのである。
だからこそ、作品が終わった時の物悲しさは凄まじく、他の戦争映画では感じられないものであった。
見所③武器を持たないデズモンドによって示される真の勇敢さ
今作で最も注目すべきは、主人公であるデズモンドが武器を一切持たない点にある。
彼は宗教的・信条的に人の命を奪うことができず、武器を握ることすら拒絶している。そんな事もあり、物語前半では上官からは厳しい目で見られ、仲間からもリンチに合うことになり、最終的には軍法会議に掛けられてしまう。
恋人や家族の助けのおかげで、何とか武器を持たない衛生兵として戦場に出る事を認められたデズモンド。しかし、部隊内では「臆病者」として見られ続けている。
視聴している僕でさえも、彼の考えに疑問を感じてしまった。
撃つか撃たれるかの戦場において、例え武器を持たなかったとしても誰かが敵を撃つことになる。
そんな矛盾を感じずにはいられなかった。
しかし物語の後半。デズモンドは激戦地のハクソーリッジに丸腰でたった1人残り、武装した敵の目を掻い潜りながら負傷兵を救助し続けていた。
信条に従い、恐怖と戦いながらも懸命に救助を続けるデズモンドの姿には、一切の「臆病さ」を感じることは無かった。
限界まで救助をしたデズモンドに対し、誰もが「勇敢な兵士」と称賛するのであった。
僕はこの作品から「臆病さとは何か?勇敢さとは何か?」という問いを投げかけられたような気がした。
真に勇敢な者とは、「恐怖に負けず誰かのために信念を押し通せる者」というのが、この映画の答えなのではないかと思う。
信念や信条、強い意志といったものをどんな恐怖よりも優先出来るのか?それを誰かのために乗り越えた者こそ、本当の「勇敢さ」を持った者なのかもしれない。
デズモンドの懸命な姿を観ていると、そう思わずにはいられなかった。
まとめ
元々戦争映画は嫌いでは無かったが、今回紹介した『ハクソー・リッジ』は他のどの戦争映画よりも残酷で、尚且つ感動的な作品だったと言える。
戦争映画でここまで残酷に感じたのは『プライベート・ライアン』におけるノルマンディー上陸作戦以来ではないだろうか。
いずれにせよ、戦争の悲惨さと虚しさを再認識させてくれる素晴らしい映画であった。
現在の世情的にも「戦争」に関するワードは非常にセンシティブな扱いを受けている。
だからこそ、別の国である我々も決して対岸の火事とは思わず、楽観視できない事態という意識を持たなければならない、と思ったのであった。
以上、ありがとうございました!
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